現代を生きる私たちにとって、最大のテーマは各自の「自立」だと、私は考えます。
自分以外の助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事を進めていくことを自立といいます。
特に私の言う自立とは、経済的自立を指します。この経済的自立を成し遂げるために、折れず曲がらず、どのようにして挑む心を創っていくのか。これが自立達成の核心です。
と言いながら、実は私の価値観では、何かをやり抜くこと、成し遂げることはそれほど重要ではありません。本心を言えば「誰にも指図されず、やりたいことをやって生きていくことを、いかに具現化するか」を考え続けているだけなのです。
だから目標や目的にはあまり価値を置きません。その過程こそが重要なのです。言い換えれば、目標は、誰にも牛耳られずに生きるための方便であり、依り代です。つまり私にとっては「行き着くところ」よりも、「その道程」が重要なのです。
目標はイコール「行き着くところ」だからこそ、他者とも共有できるのです。一方の「過程、道程」は私ならではなの、他者とは共有できないものだと考えています。
では、いかにしてその道程を自分らしく歩くことができるのでしょうか。卵が先か、鶏が先かの議論になりますが、そのためには「自立」が必要不可欠なのです。
自立した人、本質的な克己心を持つ人は自然体であり、孤立を恐れません。自分で自分を追い詰めるタイプは、「一人ぼっちに慣れる」という大きな収穫を得ます。
私は何事も単独で金にしてきました。一人で絵を描き、意図的に他人と繋がり、引きつけ、型に嵌め、切り取って喰べ、ひとりぼっちで遊んでいました。今でも高校の放課後、独り彷徨って、獲物を探していた頃と同じ心境です。
ただ、あまりにもトラブルが多く、また、群れで狩りをすることの楽しさから、協調性を学びました。しかし、それでもなお、金を使う場面では友人と一緒が楽しいけれど、金を切り取り、稼ぐ場面では、センスのない、阿吽の呼吸がわからない友人は足手まといです。その点では、やはり一人きりですし、それでいいと思っています。
一方で、そうした孤立を厭わない生き方を進めていくと、人間性や人間力の重要性に気づくというのも、人生の面白いところです。
最近は自らに対しても、他人に対しても、人間性と人間力を重視するようになりました。謙虚、寛容、勇気がテーマです。
未熟で迂闊な人間は威張ります。他人を傷つけ、許しを強要する人間は自殺します。威張る人間を見ると恥ずかしくなり、他人を許せない人を見ると「器が小さい」と思い、保身に終始する人を見ると「つまらない」と感じます。たとえ、経済的な成功を手に入れたとしても、そういう人は結局、自立できていないのです。
私の理想とする人間、それは激しい風雨の中、山のてっぺんで雷に打たれながらも、たった一人、誰の支えもなく、みんなのために立ち続ける人です。勇気ある精神力の強さが人間力の基本的要件です。謙虚と寛容が人間性の理想です。
あるいはこう言い換えましょう。知性、意思、感性を磨きながら超越的存在を目指し、真善美を追求することが「道を極める」ことにつながります。
しかし、そこにもまた、落とし穴があります。真善美に行き着くには、孤高に生きる必要があります。が、その孤高はまた、独善を生みます。達人と言えども、最後まで行ったり来たりするのが、きっと人間というものなのです。
私自身、真の自立に向けて、まだまだ先は長そうだと感じています。この命が果てるまで考え続けることになるのでしょう。その自問と気づきの繰り返しによってこそ、自立に近づけると信じて……。
本書は私の折々の言葉や文章を基にして、高山成吉・医療法人勢成会理事長を中心とした「自立研究会」の面々がまとめてくださいました。また、編集は研究会のメンバーでもあるデータマックスの児玉崇氏が担ってくださいました。そのほか、制作に関わってくださった多くのみなさまに、この場を借りて、感謝の意を伝えたいと思います。
この本が一人でも多くの人の自立を促すきっかけになることを心から願っています。
【書籍販売】https://cutt.ly/cfGzrdp
岡田 勢聿

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